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アートには「メッセージ」がある。ふじのキッズシアターが、パンデミックの今、伝えたかったこと

「アートに今、何ができるのか」

新型コロナウイルスの感染拡大によって、そのことをあらためて考えたアーティストは、多かったのではないかと思います。

パンデミックが宣言されて以降、私たちは、多くの制限がある世界で暮らすことになりました。人と会い、話し、抱き合うこと。歌い、踊り、楽しむこと。すべてが極力避けるべきことになってしまいました。「不要不急の外出は控えてください」という言葉に、そのラインはどこにあるのかと悩み続ける日々…。そして、不要不急の際たるものとして指摘されたうちのひとつが「アート」でした。

初期にクラスタが発生したライブハウスを皮切りに、音楽・演劇・映画など、アートや文化は厳しい目にさらされることになりました。イベントや公演はことごとく自粛となり、表現することや作品をつくることは、物理的にも精神的にも、そして社会的にも、困難な状況に置かれました。藤野ふるさと芸術村メッセージ事業も同様で、ほとんどの実行団体が企画の中止や計画変更という決断を下しています。

2000年に設立されて以来、毎年メッセージ事業に採択されている子ども劇団「ふじのキッズシアター」も、2020年3月に開催予定だった20周年記念公演が中止に。さらに、翌2021年3月にあらためて開催し直した20周年記念公演は無観客公演となり、後日、編集して映像配信を行ないました。刻々と成長し、変化していく子どもたちを前に、中止と計画変更という、二度の大きな壁に直面したのです。

もちろん、この状況では止むを得ないことです。しかし、もやもやした思いも湧き上がってきます。

パンデミックの今、本当にアートは「不要」なのか。

いや、そんな今だからこそ、アートが「必要」なのではないか。

「ふじのキッズシアター」の発起人のひとりで、総合演出を手がける女優・柳田ありすさんに、この2年間の出来事と、それにまつわる思いを伺いました。

20周年記念公演を延期するという決断

2009年の公演より(写真提供:三宅岳)

「ふじのキッズシアター」は、子どもたちの心とからだを開放し、表現する自由とそれを分かち合う喜びの場として、藤野を拠点に活動している表現活動団体です。それを支えるのは、たくさんの保護者と、照明、舞台美術、演出、音響、音楽など、その趣旨に賛同した各分野のプロたち。舞台をつくるありとあらゆる要素がプロによって創造されるため、用意される舞台のクオリティは、一介の子ども劇団のクオリティではありません。夢のような舞台の上で、子どもたちは、ただ素直に、演じることを楽しみます。すると公演は毎年、子どもたちの純粋なエネルギーに溢れ、観た者に、大きな感動を巻き起こしてくれるのです。

2020年も、3月14・15日の公演に向けて、いつものように毎週稽古を重ねていました。ところが3月2日、突然の全国一斉休校が始まります。

やりたいっていう気持ちは、もちろんみんなありました。だけど、子どもたちを預かっているわけだから、学校が休校になっている状態で、簡単には開催できないとも思った。それで、3月7日だったかな。最終の通し稽古をする予定だった日に、子どもたちも含めて関係者全員に集まってもらって、ひとりひとりの意見を聞く対話の会を設けたの。

じつは2020年の公演には、例年以上に大きな意味が込められていました。まず20周年という大きな節目の年だったこと。さらにその前年に、ふじのキッズシアターの舞台監督、ヤギさんこと柳田龍樹さんが亡くなり、死後に発見された未発表の脚本「ドリーミング・ガーベッジ」を舞台化する予定だったのです。ずいぶん前に書かれていたというこの脚本は、環境破壊や気候変動が進む現在の地球の危機を言い当てているかのような内容で「これこそ今、キッズシアターでやるべきお話だ。やろう!」ということになったのだそうです。

2020年の20周年記念公演のチラシ

20周年、そしてヤギさんの遺作の公演ということで、現役の子どもたちだけではなく、たくさんのOBや保護者、地域の大人たちも参加しました。これだけの関係者が集まって公演する機会はもう二度とないかもしれない、ヤギさんの脚本をなんとしても形にしたい、誰もがそう思っていたそうです。そのうえ、衣装も音楽もダンスもすべてできあがり、あとは通し稽古と本番だけという段階です。

特にキッズはさ、その年の生きた瞬間を表現しているから、同じ舞台を再現できるプロの劇団とはやっぱり違うんだよね。背が伸びたら衣装も変わるし、受験生になったら参加できなくなる。あとは単純に気持ちが変わって、モチベーションがなくなるとかね。

特にOBはさ、もう自分の夢に向かってるから、気持ちがキッズだけにあるわけではないんだよね。それは当然だし、正常なこと。だけど、20周年だしヤギさんの脚本だしっていうことで、その気持ちだけで結集してくれた。これはね、たぶん奇跡的な結集だったと思ってる。 だから私も、個人的な気持ちとしてはやりたかった。でも、それ以上にみんなの意見を尊重したかったから、私は何も言わないようにして、ひとりひとりに正直な気持ちを話してもらいました。確か全員が話し終わるのに、5、6時間はかかったんじゃないかな。

柳田ありすさん

子どもも大人も分け隔てなく、ひとりひとりが自分の言葉で、自分の思いを話しました。その結果「今しかできないからやろう!」という人もいた一方、「やりたいけれど、今はやるべきではない」という意見がほとんどを占めました。

今だったら密にならないように、しっかり感染対策していれば演劇公演はできるよね。でもあの頃は情報がほとんどなくて、コロナのことが何も見えていなかったから、みんなが不安でいっぱいだった。誰かにうつしたらどうしようとか、大人だったら福祉施設で働いているから感染したら大変なことになる、とかね。それだとやっぱり、きたお客さんとその場を楽しく分かち合えない。

以前から「不安から行動しないようにしよう」と、お母さんたちにはよく言っていました。だからこのときも、不安だからやめるっていう選択なら嫌だということは最後に伝えたの。今は耐えるっていう決断をするときに、でもこれは「命を守りたい」っていう愛からの行動だよねって。それだったらやめることもいいじゃん、と。それでみんな「これは愛ある行動なんだ」っていうことで、納得して決断できたの。

あとね、観客を入れないでやるのは嫌だって、子どもたちが言ったんだよね。やっぱり、大勢の人の前で舞台に立つのが楽しいんだって。それは絶対不可能だったから、だったらやっぱりできる日を待とうということになったんだよね。あのときはね、きっとコロナも夏には落ち着くだろうと思ってた。その希望的観測のもと、9月に延期ということにしたんだよね。

「これは今、本当に必要なことなのか」

しかし暖かくなっても、感染拡大は一向に収まる気配を見せず、むしろ事態は悪化の一途を辿りました。そこで延期となっていた公演は、いったん、中止という形にしたのです。

9月になっても、とてもじゃないけどできる状態じゃなかった。そもそも、稽古がまったくできていなかったしね。だけど、このメンバーで何かやりたいっていうみんなの思いはやっぱりあった。だから文化庁の補助金を申請して、もともとの20周年記念公演のメンバー全員が参加して「息」っていう曲のミュージックビデオをつくったんです。全員が出演して、録音もできた。それで一応、みんなも区切りがついたのかな。というか、そうやって臨機応変に自分たちの気持ちを切り替えていくしかなかったんだよね。だってどうやっても、できないものはできないから。

MV「息」(作詞・作曲/芳晴)

20周年記念公演のテーマ曲でもあった「息」を参加者全員が参加してレコーディングし、ミュージックビデオも制作。そこには環境問題や気候変動、そしてパンデミックに関するメッセージも込められている。

いつも以上に力を入れていた公演が中止になる。仲間であり、師でもあるヤギさんの遺作が公演できない。そこで再び前を向いて次に向かうのは、関係者にとって、ものすごくエネルギーのいることだったと思います。実際にありすさんも、次の公演をどうするのか、とても悩まれたそうです。

だからさ、モチベーションっていうことでいうと「問われる」のよ。「これは今、本当に必要なことなのか」「なんのためにやるのか」「なんで今、これをやらなきゃいけないのか」と。こういうとき、無理にやらなくてもいいことだっていっぱいあるわけじゃない。そこで立ち上がるには相当なモチベーションが必要で、私にとっては、コロナ禍での演劇公演を考えるときに、それはすごく大きな問いだった。

子どもたちは違うよ。今を生きてるし「楽しい」の連続なだけだから。だけど、私たち大人が何かをつくりだす、アートをつくりだすっていうときには、純粋な内的衝動が必要なんだよね。特に演劇公演に関しては、私ひとりではできなくて、みんなでひとつの創造物をつくる。だから、みんなが結集するだけのエネルギーの元になるぐらい、本当に今、この作品をやる意味があるのかを問わないといけないと思った。

それを問うたときに、私自身のモチベーションもすごく揺らぎました。でもやっぱり、揺らいだときに支えてくれたのは子どもたちかな。子どもたちが純粋に「やりたい」って言ってくれたから。それに中止になったのは、20周年の集大成的な意味あいのある公演だったから、このまま逃げちゃいけないとも思った。それで最終的には、どんな形になってもいいから、20周年記念公演をちゃんとやりきることに決めました。

中止という区切りをつけたあと、10月に入ってから、あらためて参加者に次の公演に出演するかしないかのアンケートをとりました。受験生になったり、事情が変わったり、気持ちがほかのことへと移っていたり。子どもたちやOBを取り巻く環境は目まぐるしく変わります。そのため、やるという人とやらないという人に分かれ、三十数人いた出演者は二十人ほどに減りました。

引き続き対面での稽古は難しく、そのうえ出演者が大幅に減った状況では、20周年記念公演をそのまま再現することは到底不可能でした。どう進めようかを考えたありすさんは、まず、稽古は週に1度、オンラインで行なうことにしました。演劇学校の講師もしているありすさんは、すでにオンライン稽古の経験がありました。

そもそも稽古場にしていた公民館が借りられなかったし、みんなで会ったら密になってしまう。演劇は、触るし、唾は飛ぶし、歌うでしょう。それを見たら、保護者はすごく心配になって、出演自体を悩む人も出てくるだろうと思った。だからオンライン稽古にしたんだよね。でもやってみたら子どもたちはさ、オンライン稽古でもみんなで集まるのが楽しくてしょうがないみたいで、すごく元気なのね。私も、稽古してると元気になった。私、これがあったから20年続けてこれたんだなぁっていうことは、そこで再確認したよね。

オンライン稽古では、できることに限界があるのではないか。そうたずねてみると「そうでもないよ」とありすさんは話しました。

オンラインでも、対面と同じぐらいの手応えはありました。ちゃんと感じる力があって、魂と魂で会話するっていうぐらいのことができていれば問題ない。ただ、表面的にやっていると、オンラインでは難しい場合もあります。だからこそ「問われる」。テクノロジーも利用したらいいんだけど、そこではどうあっても「本質を見失わない生き方」が大事になる。だからもうね、とにかく今、全部が問われているんだよね(笑)。

さらに、ヤギさんの脚本を原作としながらも、内容は大幅に書き換え、まったく新しい舞台としてつくっていくことにしました。

もともとの脚本では全員がゴミの役だったんだけど、子どもたちは精霊の役にしました。ゴミの役は、一般の大人と成人したOB。主人公は中学生の女の子にしようと思って、3人選びました。そうやって一部二部三部と構成すれば、稽古も分けてできるしね。

精霊役の子どもたち。何の精霊か、わかりますか?

それからそれぞれに、役名や性格など、自分の役について考えてもらいました。子どもたちには、精霊は人間にメッセージがあるんだよということを伝えて、ひとりひとりに、そのメッセージを考えてもらったりね。オンライン稽古ではそれを発表してもらって、よりよくしていくっていうことをやりました。

古着、欠けたお茶碗、プラスチック、ピエロ人形…さまざまなゴミに扮したのは、OBや地域の大人たち

大人たちにも、何のゴミでどんな人生があってというモノローグを好きなように考えてもらい、セリフにしてもらいました。3分でも5分でも、舞台上でいくらでも語ってくれていいからって言ってね。主人公の3人には、人類は滅亡し、最後に生まれた人間の女の子がふたりいるっていう設定と、「風の谷のナウシカ」や「もののけ姫」のイメージを伝えて、セリフなんかは全部自分たちで考えてもらった。

最後の人間の女の子、ゴミに育てられたサンと森の動物に育てられたリンが出会う

そういうことをやって、本番直前に2回だけ対面で稽古して、こんな感じねって流れだけ確認して。それまで、対面稽古は1回もやってなかった。だから、本番ができたのはすごいことです。ていうか奇跡だよ(笑)!

まさか、直前までオンライン稽古しかやっていなかったとは驚きました。しかもやっていたのは、いわゆるセリフの練習ではありません。言うなれば、ひたすら内面を掘り下げ、それぞれの役をありありと創造することで、物語をつくりあげていったのです。

だから、ヤギさんには本当に悪いんだけど、もともとの脚本は幻になっちゃったの。でもね、これは、1年前の舞台が基礎にあったからできたこと。たとえば、人間以外の命が集まって「なぜこの地球上に命があるのかについて会議する」っていうワークショップをやったりしたんだけど、子どもたちがそういうことをずっと心の中で培ってくれてたんだよね。だからね、たぶんあれは奇跡なんだけど、キッズが20年間やってきたこと、自分の中から生まれてくるものを大事にして表現するっていうことをずっとやってきたからこそできたんだと思います。

やり直しの20周年記念公演は、観客は入れずに映像配信に

映像作品であることを活かした演出も

10月に稽古を始めた時点では、有観客公演も視野に入れて稽古をしていました。しかし結局、公演の1ヶ月ほど前に無観客公演とすることを決め、後日、映像配信を行なうことになりました。

そういう意味では、こうすればウィズコロナでやっていけるということがなんとなくわかってきたから、2020年は中止になったけど、2021年は対策を立てて、実現できたんだと思います。

ただ、もともとは観客を入れるつもりで頑張っていたし、それが無理ってなると、正直またモチベーションは下がるんだよね(笑)。だから、やったっていうことの証明と、モチベーションを保つために、せめて映像で配信しようと考えました。

それに、キッズはずっと「あるがままでいいんだよ」というメッセージを発信することが使命だと思ってやっているところがあります。だから、自分たちが楽しかったというだけではなく、子どもたちのキラキラした表情をちゃんと発信したかった。つくり直した「ドリーミング・ガーベッジ」も、すごくメッセージのあるストーリーでした。これは2度とできない。小学生も中学生もどんどん変わっていくから、この瞬間しかできない。やっぱりこれを形にして発信したいと言ったら、カメラマンが5人ぐらい協力を申し出てくれました。

集まったのは、映像関係の仕事をしている保護者や、過去につくった長編映画「藍色少年少女」でつながった第一線で活躍する映像カメラマンや映画監督など、錚々たるメンツ。みな、ふじのキッズシアターの趣旨と活動に賛同し、ほとんどボランティアで協力を申し出てくれた人ばかりです。5台のカメラがあれば、単なる生配信とは違う「作品」がつくれる。ありすさんは「これで大丈夫だ」と確信しました。

環境汚染が進み、人間が滅んだ地球を離れ、AIで完璧に管理された世界「バビロン」で暮らす人間の末裔レイ。完璧なはずの暮らしに強い違和感を覚え、地球にやってきて、サンやリンと出会うところから物語は展開する

とはいえ、引き続きいつもどおりというわけにはいきません。お母さんたちが感染対策チームを結成し、徹底した感染対策を行ないました。リハーサルのギリギリまでマスクをするように呼びかけ、こまめに換気や検温を行う。飲食は持ち込まず、差し入れも受け付けない。毎年、楽しみにしている打ち上げもやりませんでした。

でもそれはさ、今はとっても大事なことじゃない? それに、それだけ厳しくしたからみんな安心してできたんだよ。

公演当日、取材ということで、特別に観劇させてもらいました。ステージの中央に美しく佇んでいた巨大すぎるほど巨大な「生命(いのち)の樹」には、関係者みんなの思いが込められているように感じました。ほとんど稽古ができていないとは聞いていましたが、とても数日しか対面稽古をしていないとは思えない完成度です。しかも、セリフのほとんどを出演者ひとりひとりが考えていたとなれば、まさに、パンデミックの今しかなしえない舞台だったのではないでしょうか。

矛盾をユーモアに変えて、明るく楽しむ子どもたち

ふじのキッズシアター20周年記念公演「ドリーミング・ガーベッジ」

「稽古してない分、緊張感もあったのかな」とありすさんは言います。

子どもたちも、感染対策が必要なことや観客が入れられないことをしっかり理解して、そのうえで魔法がかかって、何もモチベーションが下がらなかった。とにかく集まれるっていうことが、すっごく楽しかったみたい。会えるとか集まれるとか、マスクをとって歌えるとか、そういう当たり前のことがね。本当はね、マスクして歌うことはすごく体に悪いんだよ(笑)。でも今は、そういう矛盾したことが世の中にいっぱいある。その矛盾は、きっと子どもたちも感じ取ってると思うんだけど、それをユーモアに変えてさ、明るく楽しんでた。

ほとんど通しで稽古ができなかったから、本番は、途中で止まってもいいからね、間違ったのを使うからって言ってたんだよね。ただ、最後に生命の樹に花を咲かせるシーンだけは、みんなの命が輝いてなかったら花はいつまでも咲かないからよろしくねって伝えていたの。そうしたら、クライマックスでは太鼓を叩いたり、わーって踊ったりしてね。あれは、別に振り付けではなくて、子どもたちから自然に出てきたものなんだよね。そして、そう伝えていたから、花が咲いたときに「咲いた!咲いた!」っていうのが自然な喜びになっていた。私がやったのは、そういう簡単なことだけ。あとはひとりひとりがそこをどう考えたり、感じたりしていけるのかを大切にしたんです。

多様性をお互いが認め合っていく演劇作品を

子どもたちが考えたセリフの中には、私たち大人が思わずハッとさせられてしまうようなセリフもありました。しかしこれは間違いなく、子どもたちが自分で調べ、考え、想像し、決めていった言葉なのだそうです。

すごいよね。今の子どもたちを見ていると、本当の意味で愛を知っている子がどんどん生まれていると感じるし、この先、時代はすごく変わっていくだろうと思います。ただ、このままだと、学校にしても社会にしてもすごく生きづらくて、その子たちの居場所がありません。私たち大人は、その土壌をつくってあげないといけない。

キッズでは、20年間も未来への種まき活動をしてきました。種さえまいてあげればいいと思っていたところがあります。でも最近は、土壌となる大人の再生が必要なんじゃないかと思い始めていて。どういう形になるのかわからないけど、大人たちの再生活動を、私の演劇メソッドなどを使ってやっていきたいと思っています。それといずれ藤野では、ジェンダーも年齢も障がいのあるなしも関係ない、ボーダレスの演劇公演をやりたいです。それは夢だね。

ひとりひとり全然違った感性があるんだから、たとえば障がいをもった人も、あるがままでいい。障がい者を健常者にしようとするんじゃなくて、その人のあるがままが面白いんです。これは教育でもそうなんだけど、その子が本来もっているものを、ちゃんとしようとすると曲がっていっちゃうっていうか、つまらなくなっちゃうのね。

せっかくひとりひとりがもつ宝物を、均一にしたらつまらない。キッズでも、私は「間違ったほうが面白いのになー!」って思いながらいつも見てる(笑)。一応段取りは決めるけど、舞台が途中で止まっちゃっても別にいいわけ。ちょっと変なことする子どもがいると、ヤギさんや私は「止めるな」「あのままがいい」っていつも言ってた(笑)。そのままがいいんだよ。そのままで、すごくいい味出してるから、そういうのを受け入れていく。それが大切で、その子じゃないとできないものっていうのがあるんだよね。だからキッズでは、役に当てはめるんじゃなくて、その宝物をうまく生かせたらいいなと思ってやってきました。

だからこれからは、それをもっと広げて、キッズシアターだけじゃなくてボーダーレスシアターだね。多様性をお互いが認め合っていく演劇作品ができたらいいなと思います。

イベントやお祭りは生命の源

それはまさに、すべての人の力で、枯れてしまった生命の樹に花を咲かせるようなことだと思いました。ひとりひとりの命がありのまま輝くことで、その伸びやかなエネルギーが世界に伝わり、生命の樹も蘇る。やがて樹は、その役割を終え、新たな命の「糧」となります。生は循環し、希望に満ちた未来が繰り返されるのです。

一見すごく無駄に思える、イベントや音楽などのアートの領域が、本来はすごく大切なことなんだよね。生命の樹に花を咲かせるって、お祭りをするようなものでしょう。みんなで歌ったり、どんちゃん騒ぎしたり、アートに触れ合ったり。イベントやお祭りは生命の源で、心が解放される時間でもある。だからこそすごく重要で、藤野なんかは、まさにそういうことをずっとやってきたまちなんじゃないかと思う。だから、藤野がメッセージ事業を通じてやっていることっていうのは、本当に大事なことなんだよね。

私は、アートには娯楽や快楽だけじゃない「メッセージ」があると思っています。人間には、何のために生まれて、なぜ生きていて、何の使命があるのかという人生の命題がある。そこに向けたメッセージこそがアートなの。

「つまり、(アートは)メッセージ事業なんですよ(笑)」と続ける。

アーティストって、とにかく既成概念を壊すわけ。教育とか社会とか家庭の中で「こうあるべき」ってがんじがらめになっているマインドを壊す。そうすると、それを観た人も視点が変わって目覚めて「これでいいんだ!」っていう気づきが得られる。アートに触れて、感動して、震えることが大事なのね。だから自己完結じゃダメで、分かち合ってこそなんだよね。

それがコロナがあってからは、ことごとくダメになった。人と人が関わり合う、触る、抱き合う、ぶつかり合う、そういうことが全部ダメになった。だから今、当たり前に何十年も続いてきたことが、問われている。あらためて「何をメッセージしたいのか」がすごく問われていると多います。

この先しばらくウィズコロナでやっていくとしたら、このことは絶対、みんなで考えてほしい。今はアートが大事なものじゃないという扱いになっていて、まるで石を投げられている感じがする。でももし、がんじがらめになっている私たちを解き放ってくれるものがあるとしたら、それは、唯一アートなんだよ。そして、それを分かち合えることが私自身の歓びでもあるのです。だから、パンデミックの今こそ必要なんだっていうことを伝えていきたいです。

そのためにも、無観客でも公演を開催してよかったと思っています。地球環境のことを子どもたちと2年間かけてじっくり考えられたし、コロナのときだからこそできる舞台になった。何をメッセージしたいのかが明確な作品だったと思います。

最後にみんなで記念撮影。集まれることの喜びを噛み締めて

希望を未来へつないでいこう

「希望」

ふじのキッズシアターの舞台を見ていつも思い浮かぶのは、この言葉です。世界が立ちすくんでいる今も、子どもたちはキラキラと輝き、成長していきます。ありすさんは、そんな子どもたちの感性を、演劇というアートを通じて引き出し、育んでいるのです。

ありすさんのお話を聞いたあと、あらためて映像作品を見返しました。MVの「息」も、20周年記念公演「ドリーミング・ガーベッジ」も、そこに込められたメッセージとそこに至る物語がつながると、さらにグサグサと胸に刺さりました。そしてそれ以上に、子どもたちが笑顔でいるうちは、希望は永遠にあるのだな、と思わずにはいられませんでした。

この希望を未来へつないでいくために。

今、何をするべきか。アートの取り組みやイベントを長年続けてきた芸術の町・藤野が、今伝えるべき「メッセージ」はなんなのか。

長年、アートとともにあった藤野ならば、この問いを受け止め、その問いによって生まれるたくさんの気づきを、「藤野らしく」具現化していくことができるはずです。藤野では、アートの先にあるものの眩しさの存在に、すでに多くの人が気づいている、そんな気がするからです。

(取材・執筆:平川友紀 写真:袴田和彦)

INFORMATION

2022年3月26日27日に実施された第21回公演「銀河の贈り物」は
2022年6月ごろにふじのキッズシアターYouTubeチャンネルにて公開予定です。

ふじのキッズシアターYouTubeチャンネル

 

記事を書いた人
平川友紀(ひらかわ・ゆき)

リアリティを残し、行間を拾う、ストーリーライター/文筆家。1979年生まれ。20代前半を音楽インディーズ雑誌の編集長として過ごし、生き方や表現について多くのミュージシャンから影響を受けた。2006年、神奈川県の里山のまち、旧藤野町(相模原市緑区)に移住。多様性のあるコミュニティにすっかり魅了され、現在はまちづくり、暮らしなどを主なテーマに執筆中。きのこぷらんにんぐメンバー。元ひかり祭り実行委員会メンバー。ぐるっとお散歩篠原展参加。その他、藤野でのさまざまなイベントや地域活動に関わっている。現在は山々に囲まれた篠原地区の奥地に居住。藤野では「まんぼう」の愛称で親しまれ、藤野地区の魅力を発信し続けている。

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