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2020年、コロナ禍。藤野からイベントが消えた1年を振り返る〜メッセージ事業・座談会〜

2020年、コロナウイルスによるパンデミックは、これまでの暮らしのあり方を大きく変えていきました。日本でも2度に渡る緊急事態宣言が発令され、外出自粛やイベント自粛で、なるべく人と会わないように、集まらないようにすることが当たり前になりました。

人口密度が低い藤野エリアでも、その状況に変わりはありません。毎日のようにイベントがあった藤野から、煙のように、スッと賑わいが消えていきました。藤野ふるさと芸術村メッセージ事業も、2020年(令和2年度)は、ほとんどの実行団体が事業の中止を決断。これは、三十数年に渡る歴史で初めてのことです。

そこで3月某日、実行団体の中から「藤野ぐるっと陶器市(以下、陶器市)」「そらにわ」「ぐるっとお散歩篠原展(以下、篠原展)」「ふじのサニーサイドウォーク(以下、サニーサイドウォーク)」の代表者に集まってもらい、それぞれに思っていること、感じていることを語り合ってもらいました。実行団体のみなさんは、いったいどのようにして中止を決断し、今、どんな思いでいるのでしょうか。

座談会参加者の紹介

― プロフィール ―

副島泰嗣さん

「藤野ぐるっと陶器市」前代表。陶芸家。1954年生まれ。佐賀県立窯業試験場轆轤本科研修生として学んだあと、人間国宝の井上萬二氏に師事し、1983年に独立。1989年に藤野に移住。同じく陶芸家である奥様の微美子さんとともに、森の中の小さな工房兼ギャラリー「静風舎」を営む。染め付けを抑えた清楚で品格のある白磁の器を制作している。 http://www.seifu-sha.net/

林正人さん

「藤野ぐるっと陶器市」代表/「サニーサイドウォーク」代表。陶芸家。2002年、スペインの国際コンペでグランプリを受賞。2018年「第70回沖展」入選。平日はサラリーマンとして大手ハウスメーカーに勤務しながら作陶を続けてきた。2021年3月で定年退職し、今後はますますものづくりの道を邁進予定。
https://www.facebook.com/masato.hayashi.1422

三宅岳さん

「ぐるっとお散歩篠原展」代表。山岳写真家。1964年生まれ。主に丹沢山塊、北アルプスを中心に撮影を行なう一方、炭焼きなどの山暮らしの現場を訪ね、撮影・取材を続けている。父は山岳写真家の三宅修、母は元藤野町議会議員で詩人の三宅節子。小学3年生の時に家族で藤野に移住。当時、篠原地区在住だった彫刻家・植草永生氏と地元住民の山崎常夫氏が始めたイベント「篠原造形展」に参加。大いに刺激を受け、造形展終了を受けて、「ぐるっとお散歩篠原展」を企画。以来、代表を務めている。 https://www.facebook.com/gaku.miyake

磯和安那さん

「そらにわ」発起人・代表。シンガーソングライター。1992年生まれ。藤野で生まれ育ち、アートで自由な環境で伸び伸びと育つ。高校時代からメッセージ事業を活用して、さまざまなアートイベントを企画。2016年より、若い世代が中心となった新たなアートイベント「そらにわ」をスタートさせる。一方で、annasekai名義でシンガーソングライターとしても活動し、子ども向けプログラム「絵本うたショー」を展開するなど、多彩な活動を展開中。
https://www.facebook.com/anna.sekai9

中止になったけど「ポツンと陶器市」やってみた

「藤野ぐるっと陶器市」発起人・前代表の副島泰嗣さん

−−今日は集まってもらい、ありがとうございます。まずは去年、それぞれのイベントがどういう経緯で中止を決めたのかを伺えたらと思います。最初に中止が決まったのは、5月開催の陶器市でしたね。

副島:中止は、わりと早い段階で決まりましたね。陶器市は、野外が会場のところも多いんだけど「うちは家の中でやってるから無理」っていう話も出たりして、3月ごろには「これはダメかな」っていうことになりました。ちゃんと気をつければ、田舎だし野外だし、できなくもないんじゃないかなとは思ったんだけど、まぁ、世界中がああいう状況だったので、今年は全部やめましょうと。

林:最後の最後は地域の人の意見っていうのもありましたよね。僕は、陶器市は日連神社を会場にしてるんですけど、毎年4月に自治会の総会があって、その席で今年もやらせてもらいますってご挨拶するんです。去年はコロナが始まった1月ごろに、すぐに組長のところに行って相談しました。そのときはまだ「この辺の人たちは全然気にしてないよ!」って言ってたんですけど、3月にあらためてご挨拶に行った時は「うーん、ちょっとやばいかもな」っていう話が出始めて。結局「今年はやめたほうがいいかもな」っていうことになりました。

副島:陶器市は自治会連合会の協賛をもらってるんです。だから自治会の意向も聞かないとっていう部分があるんですよね。

「藤野ぐるっと陶器市」代表/「サニーサイドウォーク」代表の林正人さん

副島:ただ、状況が少し落ち着いた10月に、静風舎だけでもやろうっていうことで「ポツンと陶器市」っていうちっちゃいイベントをやりました。もちろん感染対策はきちんとして、きた人には全員、名前と連絡先を書いてもらうようにしました。あまり人がきても困るので、陶器市のホームページにこっそり告知して、あとは一切宣伝しなかったんだけどね。すごく寒くて雨も降ってたのに、お客さん、かなりきちゃってね(笑)。藤野全体でも久しぶりのイベントだったから「やってくれてありがとう!」っていう人がとにかくいっぱいいました。

林:今は、少しでも可能性のあることをやっていこうということで、作家さん個人がやってるSNSだったりウェブストアだったりを、陶器市のホームページで紹介して、作家さんとお客さんが直接つながるような仕掛けをつくろうとしています。ホームページを充実させても、陶器市の代わりにはならないでしょうけど、お客さんと直接つながることができるっていうのは、新しいチャンネルにはなるんじゃないかなと思っています。

今こそ逆にそらにわなんじゃない?

「そらにわ」発起人・代表の磯和安那さん

安那:そらにわは、去年は初めて9月から6月頭に開催時期をずらしたんですね。そうしたらコロナになっちゃって…どんどん状況も変わっていくし、私たちも、その度に悩みました。

まず、緊急事態宣言が出て、みんながステイホームを強いられて、子どもたちも大人も本当に心が窮屈になってた。そんな状況だからこそ、逆にそらにわみたいな、野外のだだっぴろい場所で解放される時間が大事なんじゃないかなと思ったんですよね。自分たちにとっても、そらにわっていうものがあってほしかった。そういうひとりひとりの思いで「今こそ逆にそらにわなんじゃない?」っていうような話になって。

でも、ポツンと陶器市と同じで、あんまりたくさんの人がきたら困る(笑)。それで告知や宣伝はせず、お店の出店もなしで、ピクニック的にただ会場にきてそれぞれが楽しむ。どこかから音楽が聞こえてきて、ただ空が見えてっていうだけのイベントにしようっていうことになりました。

そらにわはもともと「なんにもないが、ある」がテーマなんです。それはつまり「豊かさとは何か」っていう問いでもある。この開催の形は原点回帰だから、そらにわとしてもいいんじゃないかということで、その方向で進めようとしてました。 してたんですけど!

2019年のそらにわ。大勢の人が集まった(写真提供:佐藤万智弥)

2020年は同じ会場で、何にもない、ただのんびりする1日をつくる予定だった(写真提供:佐藤万智弥)

安那:8月末までイベントは中止してくださいっていう要請が、神奈川県から出たんですよね。その関係でメッセージ事業のほうから、8月末までは野外だとしても開催はできませんということを言われたんです。それで6月の開催は断念しました。ただし、要請期間が終わった頃に、もしかしたら開催できる形もあるかもしれないということで、開催するという話は残していました。

4月から、ずっとオンラインで会議してたんですけど、その間、いろいろな葛藤がありました。たとえばイベントって、本当は何ヶ月もかけて準備しないといけないものじゃないですか。でも先のことが想定できないから、3日間で準備できる開催スタイルをつくろうとか、告知も前日にいきなり「明日やるよ」っていう感じにして、来れる人だけきてもらうようにしようとか。

さいあく、自分たちが集まるだけでもいいよねっていう話も出たし、音楽ステージをライブ配信しようかっていう話もありました。それは結局、そらにわはただの音楽イベントではないし、あの場所に行くことが大事なんだよねってなってやめたんですけど。

でも、最終的に開催しなかったいちばんの理由は「自治会が動いてなかったから」っていうことが大きかったです。

私たち主催者は、誰も開催場所の自治会の人じゃないし、地の人でもない。なのに、自治会の集まりやお祭りすらもできていない状況で、私たちがポンとイベントをやりますっていうことは、いくら説明しても理解されないんじゃないかと思いました。5年かけて積み上げてきた信頼関係を台無しにすることになっちゃうんじゃないかと思ったら…それが怖かったです。 それと、私はちょうど出産で代表を変わってもらったし、コロナに対する感覚もみんな違ってて、刻一刻と状況が変わる中、イベントに対する気持ちもそれぞれ変わっていったんですよね。オンライン上でミーティングしているとうまく意思疎通できないこともよくあって「イベントをやろう!」って盛り上がる感じじゃなくなってきたということもあったかなと思います。実際に会って話すよりも、モチベーションが上がりにくい感覚はありました。 ただ、中止にはなったけど、いろいろ話し合ったおかげで自分たちが大切にしたいものっていうのは逆にはっきり見えたかなと思う。なので、次に開催できるときがきたら、ちゃんと軸の部分が大事にされた面白いイベントになるんじゃないかなと思っています。

小さな集落でやる地域イベントだからこそ、できない

「ぐるっとお散歩篠原展」代表の三宅岳さん

岳:篠原展は、まず、その前年に台風と勝負してやぶれちゃったんだよね(編注※「令和元年東日本台風」がぐるっとお散歩篠原展の開催前日に直撃し、藤野地域全域が被災。被害は甚大でイベントも中止に)。篠原も、川が溢れて道が閉ざされた。とにかく何十年もやってきて、初めて開催できなかったという経緯があって、去年はなんとしてでもやりたいっていうのがあったのね。陶器市とかそらにわとか、ほかのイベントが中止になっていくのを横目で見つつ、篠原展ならなんとかなるだろうっていう楽観的な気持ちが、僕には半分ありました。

だけど、最終的にやっぱりできないなってなったのは、篠原展はやっぱり、小さな集落でやる地域イベントなんだよね。その小さな集落にいろいろな人があちこちからやってくるっていうのは、どう考えても得策じゃない。会場になった家を散歩しながら訪ねていくスタイルが基本ということもあって、もし個人のお宅で何かあってもまずいし、ちょっとこれはできないかなと。

一時期は、外への宣伝なしで内輪でやろうかっていう話も出たんだけれども、そのときも「誰のための篠原展なの?」っていう話が出てきて。自分たちだけのお楽しみでもいいかもしれないけど、それはやっぱり伝える方向が違うよねって言われたら、答えに窮するところがありました。

2007年のぐるっとお散歩篠原展(写真提供:三宅岳)

林:サニーサイドウォークは中止を決めたのは早かったですね。最初にみんなで集まった4月の時点で「やれないよね」っていう話になって、7月にはやっぱりやめましょうということで、すぐ決まりました。最初から、やる方向はほとんどありえないという感じでしたね。

−−サニーサイドウォークが早くからできないよねとなった理由はなんですか?

林:やっぱり地域への配慮ですね。特にサニーサイドウォークは日連地区の狭いエリアの中でやるから、もし何かあったときにはイベントが原因だということがはっきりわかります。ただ、副島さんの「ポツンと陶器市」と同じで、1カ所だけは独自に開催したんですよね。それはそれでよかったと思います。やっぱり「やってくれてありがとう!」みたいな感じで、初日はすごい人が集まったらしいです。みんなイベントに飢えてるし、今日もそうですけど、人とこうやって話す機会が本当に嬉しいっていう状況は、正直ありますよね。

非常時に、地域でアートイベントを開催する難しさ

座談会は藤野のアート拠点のひとつでもあるカフェレストランShuのテラスをお借りして

−−みなさん「地域のことを考えると開催できなかった」というのがいちばん大きかったように感じます。もうすぐ年度が変わりますが、何か進んでいたり、考えていることはありますか。

林:サニーサイドウォークについては、4月が最初の会議なので、まだ何も話はしてませんね。
岳:篠原展もまだ何も。

安那:そらにわも、今年どうするかっていう話はまだしてないです。でも自治会が動いてないとできないっていうのは変わらないから、ひとまず6月開催は厳しいんじゃないかなと個人的には思っています。

――陶器市は5月開催なのでもう間近に迫っていますが、開催か中止かは決めたんでしょうか。

林:みんな、やりたい気持ちはある。でも、まだどうするかは、はっきりとは決めていません。ついこの間まではいけそうかなと思っていたんですけど、変異株が出てきて、それがちょっと怖いなと。僕らも、開催してもし感染者が出ちゃったときに、2度とやらせてもらえなくなることだけは避けたいですからね。

副島:ただ、陶器市に関しては、それで生計を立てている人たちがかなりいるんですよね。中止になると、直接生活に響く人が大勢いる。中止の影響が大きいんです。

たとえば最近聞いたのが、ある会場は、去年は参加予定の作家が10人いたらしいんですけど、今年は5人に減っちゃったんだって。「どうして?」って聞いたら、藤野は開催の決定が遅かったから、静岡のほうで同じ日程の陶器市があって、みんなそっちにいっちゃったんだって。作家はみんな切羽詰まってて、とにかくなんとかして生活費を稼がないといけないっていう人が増えてるんじゃないかなと思う。

林:本当に作家さんは困ってる方が多いと思う。陶器市が中止になることで、下手したら何十万円も収入が減る人もいるんです。

−−たとえば、やり方を変えてみようとかそんな話はありました?

林:陶器市で今までに出たのは、サニーサイドウォークみたいにある期間を決めて、各エリアごとに開催するやり方。もともと陶器市って、藤野の北から南まで広いエリアでやってるから、2日間じゃ回りきれなかったんだよね。そんな事情もあって、エリアごとに日にちを決めてやるのはどうかなという話は出ましたね。あとは名前を変えてやるとか、そういうのもあった(笑)

それと「何月何日にウェブ上で陶器市やります」って発表して、陶器市のホームページで、この作家さん面白そうだなってクリックすると、いきなりテレビショッピングみたいなのやってるっていう(笑)。作品を映しながら、お客さんとウェブ上でやりとりするっていう話も出てましたね。

安那:オンラインショッピングをテレビショッピングっていうだけでイメージ変わりますね(笑)

ウェブを活用するのはすごくいいと思います。陶器市とかサニーサイドは今までの実績があるじゃないですか。私も目当ての人がいて、どこの会場に行くのかは決めてたりするんですよね。なので、ホームページを見たらその作家さんとのコンタクトの仕方がわかったり、ネットショップで購入できたり、ある人はアトリエにきてもいいよっていうことがわかったりすれば、それは収入につながると思います。

林:今回の陶器市のホームページはそれに近いですよね。

副島:でもね、あんまりオンラインばかりになっちゃうと、もう藤野に行かなくてもいいじゃんってことになりかねないんじゃないかな。それが僕は今、いちばん気がかりなこと。藤野のイベントって、藤野にきてもらいたいからやってるわけで、オンラインばかりになったら、藤野でやってる意味がないってことになりはしないかなって思うんだよね。 なんでみんなオンライン、オンラインっていうんだろうなぁ。自分がその立場だったら、オンラインで商品見て買っても、楽しいかなって思うんだ。それより、実際に藤野にきて、全然知らない人だったけど気に入って買っちゃったよとか、目当ての作品よりこっちのほうがよかったとか、そういうのが楽しいと思うんだよね。だからオンラインは、やるのはいいとは思うんだけど、僕の気持ちとしてはそれよりもきてもらいたいっていうのが半々かな。
岳:篠原展に関しては、そこでウェブに切り替えようとかホームページを充実させようっていう方向には動かなかったですね。それはやっぱり、リアルな篠原を楽しんでもらいたいっていうのが根本にあるからだと思う。あの地域があって、そこで暮らす人たちがいて、ちょっと歴史みたいなものもある。やっぱり、そこにきてもらわないと篠原展じゃないよなっていうところがあるので、ほかの方向での展開っていう話にはならなかったです。

何年待つか、あるいは、待てるか

2019年のサニーサイドウォーク

−−オンラインはリアルの代替にはならないってことですね。

副島:そうだね。だから僕は、万が一今年も中止になっても、去年と同じようにうちだけでもやりたいなと思ってる。去年と違って対策もわかってきたし、ここに行くとかかりやすいとか都会は危ないとか、藤野みたいなところは比較的安全っていうこともわかってきているからね。ニュースを見てるとまた夏ごろにピークが来るという話もあるから、どうなるかわからないけれど。

林:でも確かに、たまに京王線に乗ったときに、味の素スタジアムでイベントがあると、ものすごい数の人が乗ってくることがあるんだよね。電車もぎゅうぎゅうになるし、おいおい、コロナどうなってるんだよって思うんだけど、別にクラスターが発生したとか聞かないでしょう。

味の素スタジアムと比べちゃいけないのかもしれないけど「来年どうする?」って言われたときに、やっぱりやり方によってはできるんじゃないかなっていうのは、それを見てて思ったんだよね。藤野の場合は地元の人の了解と理解が得られないとやりにくいっていうのは変わらないけど、了解がもらえれば、あとは本当にやり方次第でできるんじゃないかなと思う。

岳:今年のことはまだこれから話すんですけど、篠原展は、やっぱり篠原っていう地域ありきのイベントだから、流入してくるものについては見る目が厳しいのかなっていう気はしています。やりたいのはやまやまだし、そのつもりで準備はしていくけれども、すごい薬が出たとか社会情勢が劇的に変わってダイナミックな展開が起きたとか、そういうことがないと当分は難しいかなと。

まだ突き詰めて考えてないところもあるんだけれども、ようするに、先が見えてこないと篠原展の今のスタイルの継続は難しい。そうなると、あとは何年待つか、あるいは、待てるか。でも、今は待つしかないのかなっていうところですね。
安那:待てるか問題は本当にあるなと思う。私もちょうど子どもが生まれたし、いつやれるかわからないし、ここまでで終わりにするのもありかなって一瞬考えました。でも、これでそらにわが終わって消滅しちゃうっていうのはさすがに寂しいなと思ったし、地主さんにすごくお世話になってるから、地主さんが元気なうちにもう1度やりたいっていう気持ちがすごくあります。

岳:そうなんだよね。やりたい。でも去年やろうと思ったときにいろいろ出てきた課題っていうのは、1年経ったから解決しますっていう簡単な問題ではなかったんだよね。その辺は自分たちの中から変えてどうなるっていうことよりは、外部の変化を待つしかないのかなという……ある意味、非常にアーティスティックではない情けない待ち方なんだけれども、地域イベントである以上は我慢のしどころかなという気はしています。そのジレンマはたぶん、どの団体も感じてるんじゃないかな。

藤野は今、場所としてはすごく求められている

岳:ただ、篠原展ともアートとも全然関係ない話になるけど、じつは高尾山とか大山は、コロナ以前よりも登山客が増えてるんだよね。野外だし、距離も取れるし、神奈川県なら大山、東京なら高尾山は県を跨がないで行けるということで、すごく人気になっている。

僕はふじの里山くらぶ主催で毎年3月に「里山ウォーキング」っていうイベントをやってるのね。去年はコロナで中止になったんだけど、今年はやるっていう話になって募集をかけたら、町内外含めて参加申し込みがすごく多かった。そんなに面白い場所に行くわけでもないし、ただ山を歩くだけで、特別際立った面白いことをやるイベントでもないんだけど、あっというまに定員が埋まって、断った人もいたみたい。それで今、近いうちにまたやりましょうっていう話にまでなってるのね。

つまりアート系のイベントをやるのは難しいところはあるんだけれども、ウォーキングイベントみたいなものはコロナ禍でも成立してる。そういう意味では、もしかしたら藤野は今、場所としてはすごく求められている場所なんじゃないかなと思います。そういうものがうまくひっかかって、やっぱり藤野は面白いよねっていうことになっていくと、将来のリピーター、僕らと一緒に遊んでくれる人たちとのつながりのもとになるかもしれないなという気はしていますね。

メッセージ事業がなくなってほしくない

安那:あと私は、メッセージ事業がなくなってほしくないっていう思いもあります。メッセージ事業には、私も高校生の頃から申請してお世話になってるんですけど、私の親世代は、ぐるしのだったり陶器市だったり、こもりくや藤野キッズシアターだったり、メッセージ事業のいろいろな企画をやっていました。そしてそれが、私にとって大きなバックグラウンドになっていました。

そらにわ自体は、補助金をもらわなくてもやり方によっては開催できるイベントだと思います。でもあえて毎年申請してる理由のひとつは、メッセージ事業がなくなってほしくない、藤野のアート文化が絶えてほしくない、私たちの次の世代にも続いていってほしいって思ってるからなんです。

そらにわを始めた原動力のひとつも、きのぷら(編注※藤野在住作家を中心とした芸術家集団「きのこぷらんにんぐ」のこと。伝説のイベント「こもりく」をはじめ、藤野のアート活動・アートイベントの中心を担ってきた)がイベントを打つのをやめたことでした。そのときに、これまでの藤野の文化を途絶えさせたくないと思ったことが大きかったんです。 だから、このままコロナだから中止中止中止っていう中で、いつのまにか事業自体がなくなって、いつのまにか何もできなくなっちゃったっていうパターンだけは避けたいっていうふうに思っています。

岳:大きなイベントをやるときにネックになるのは、じつはメッセージ事業の看板だったりするよね(笑)。まちがやってるからオフィシャルっていうのも違う気がするけど、やっぱり下手なことはできないっていうかね。補助金をいただける分、いろいろな縛りもあるし、そのあたりはメッセージ事業が始まったときからずっと続くジレンマでもあります。

でも、あんなちゃんも言ったけど、藤野はメッセージ事業によって育ってきた部分がすごくあると思う。それに、公共と市民のうまい架け橋になってくれているっていうのがいいんだよね。特に地域イベントは、公共と一緒にやるっていうのがひとつの姿だと思うから、やっぱりメッセージ事業の存在っていうのは、藤野にとってとても大切なんだよね。

あーでもやっぱり、今の状況では、イベントを開催するのはすごく勇気がいりますね……(笑)

地域に根付いたアートだからこその葛藤

結局、全員が一致したのは「正直まだ、どうしたらいいかよくわからない」という身も蓋もない現実でした。

「今こそそらにわが必要だ」という安那さんの言葉は、そのまま「今こそアートが必要だ」という言葉に通じていると思います。誰もが心を解放し、羽根を広げられる時間と空間を欲している。けれども、人と人が触れ合うことが否定されている世界で、そのアクションを実行することがいかに難しいことなのかということを、話せば話すほど、あらためて考えることになりました。特に地域イベントとしての色が濃いイベントほど、その難しさは大きく、藤野では地域に芸術が根付いているからこそ、この1年間が静寂に包まれたのだと実感しました。

雲間から射したわずかな光を逃すことなく、アートの力が風を起こし、青い空を見せてくれるその瞬間を、今は楽しみに待ちたいと思います。

(座談会実施日:2021年3月9日 取材・執筆:平川友紀 写真:袴田和彦)

記事を書いた人
平川友紀(ひらかわ・ゆき)

リアリティを残し、行間を拾う、ストーリーライター/文筆家。1979年生まれ。20代前半を音楽インディーズ雑誌の編集長として過ごし、生き方や表現について多くのミュージシャンから影響を受けた。2006年、神奈川県の里山のまち、旧藤野町(相模原市緑区)に移住。多様性のあるコミュニティにすっかり魅了され、現在はまちづくり、暮らしなどを主なテーマに執筆中。きのこぷらんにんぐメンバー。元ひかり祭り実行委員会メンバー。ぐるっとお散歩篠原展参加。その他、藤野でのさまざまなイベントや地域活動に関わっている。現在は山々に囲まれた篠原地区の奥地に居住。藤野では「まんぼう」の愛称で親しまれ、藤野地区の魅力を発信し続けている。

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