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誰でも参加できる自由展覧会こそが、本当の意味でのボーダレス・アート。藤野というまちをアートで体現する「いろ・とり・どり展」

令和2年度はコロナ禍の影響で、メッセージ事業に採択された団体は、ほとんどが事業を中止する決断をしました(その状況については、前回の記事 で紹介)。その中で、予定どおり実施された数少ない事業が「フジノ図工室」が主催するボーダレス・アート展覧会「いろ・とり・どり展」です。他団体が次々と中止を決定する中、フジノ図工室は、なぜ開催することを決め、無事に成功させたのでしょうか。展覧会開催までの経緯と当日の様子を、フジノ図工室の代表で、陶芸家の中村藤平さんに伺いました。

きっかけは「くりのみ学園アールブリュット展」

メッセージ事業としては、令和2年度に初めて開催されることになった「いろ・とり・どり展」ですが、じつは前年に、その前身となる展覧会がありました。2019年4月に相模湖交流センターで開催された「くりのみ学園アールブリュット展」です。

藤平さんは、15年以上もの間、藤野にある障がい者施設「くりのみ学園」へ月に1度、陶芸を教えに行っていました。するとあるとき、顔見知りの相模湖交流センターの職員から「交流センターでアールブリュット展をやらないか?」と提案されたのだそうです。じつは藤平さんは、アールブリュットの展覧会を何度も見に行ったことがあり、その都度、作品のすばらしさに大きな衝撃を受けていました。そして「こういう展覧会が藤野にあってもいいのにな」と思っていたのだそうです。

藤野には大きな障がい者施設が4つもあって、人口の割合でみても、障がい者人口がすごく多い地域です。だから本当は、その人たちが作品をつくって発表できる場があったほうがいいはずなのにとずっと思っていたの。

確かにそう言われると、芸術のまちと呼ばれながらも、障がい者施設や高齢者施設など、町内にたくさんある福祉施設とアートとの直接的な接点がほとんどなかったことに気づかされます。

そもそも、彼らは本当に面白いものをつくるからね。それが楽しみで、15年間ずっと教えに行ってたところがあった。でもそれまでは、施設の中で完結してるっていうのかな。僕がくりのみに行っていたのも月1回だけだったから、つくって焼いて、学園の中に飾っておわりだった。作品や商品をつくるっていうのとはちょっと違っていて、一緒に遊ぶっていう感覚だったのかなと思う。

アウトサイダー・アート、アールブリュット、ボーダレスアートなど、時代に合わせてその呼び名は変わってきましたが、障がい者の生み出すアート作品は、その独創性や世界観などが注目され、アーティストとして活躍する人も数多くいます。また、入所者のポジティブな変化につながる傾向もあり、本格的にアートに取り組む障がい者施設は、年々増えていました。

それまでも職員さんは、あちこちの障がい者施設でアートの取り組みが始まって注目されていることは知っていたし、いいですねとも言っていたんだよね。でも、なかなか自分たちでやろうというところまではいかなかった。特にくりのみみたいな大きな施設はいろいろな人がいてね。重度の障がいをもつ人もいるし、片時も目が離せない人もいる。プライバシーの問題もあって、縛りも多いから、職員さんは一緒に生活するだけでも大変で、精一杯なんだよね。だから、新しいことや違う分野のことまでは手が出せないし、外に広げていくっていうことはなかなか難しい。
ただ幸い、くりのみ学園は園長がアートに理解があって「こういうのがやりたかったんです!」「どんどんやっていきましょう!」と言ってくれた。そこにちょうど、おれみたいに空気が読めない人間がいてね「園長がそういってくれるならやっちゃえ!」みたいな感じでね、始めちゃったのよ(笑)。 。

「おれが空気が読めない人間だからできた。そういう人も、ある意味、大事なのよ(笑)」と藤平さんは笑います。

展覧会に強い手応えとポテンシャルを感じる

やるからには、まずは1年かけてちゃんと作品をつくろうということになりました。というのも、会場となる相模湖交流センターのギャラリーはかなりの広さがあり、藤平さんが教えている陶芸の作品だけでは、すべてを埋めることは難しかったからです。

しかし、藤平さんの専門は陶芸で、絵や立体作品についてはきちんと指導ができません。そこで、地域の芸術家仲間に声をかけ、展覧会開催に向けて、協力を仰ぐことにしました。メインとなる大きな立体作品を考えたり、トークイベントを企画したり、本格的なパンフレットを作成したり。徐々にチームとなって、展覧会開催に向けて活動は活発になっていきました。

今もだだっこ食堂(旧野山の食堂)に飾られている作品。「これを初めて見たときはね、面白いもの描くなぁって、本当にワクワクしたよね」と藤平さん

作品づくりからサポートし、ゼロから展覧会をつくりあげるというのは、本当に大変なことです。しかし、そこで大きな原動力となったのが、参加者のモチベーションの上がり方でした。展覧会をやると伝え、作品をつくりましょうと話したときから、目つきがはっきり変わったのを感じたのだそうです。

彼らはすごく前向きだから、とにかくワクワクしたみたいでね。こんなものできちゃった、こんなものつくったんだけどって、いろいろなものをつくって、どんどんおれのところにもってくるの。おれも「いいねぇ、どんどんつくろうよ」と言って、じゃんじゃんつくってもらった。それまでは、静かに黙々とつくる感じだったんだけど、その1年間は、本当に活気に満ちてたよね。それでね、活気があるとさ、不思議といい作品ができてくるのよ。しかもそれぞれに、その人にしかできないものをつくり始めるの。うおー、こんなものができちゃうのかーって毎日のようにびっくりしてた。だから作品も余るぐらいできちゃってね。予定の倍ぐらいはできたかな(笑)。

こうして、藤野の芸術家チームとくりのみ学園、相模湖交流センターとでつくりあげた「くりのみ学園アールブリュット展」は、告知されるやいなや、大きな話題となります。新聞などでも取り上げられ、来場者は、2週間でのべ1000人を超えました。

これがね、ものすごく手応えがあったんだよね。会場で、きてくれた人にメッセージや感想を書いてもらったんだけど、その量がすごくてね。「やってくれてありがとう」「こういうのを待っていた」っていう声がずいぶん多かった。制作しているときのみんなの活気もすごかったし、これはかなりポテンシャルがあるなと思ったんだよね。

ほかの施設にも呼びかけ藤野で開催へ

身近にいる地域の方々からも「ぜひ続けてほしい」と口々に言われました。

「これはやる意味がある展覧会だよ」とみんなに言われた。福祉施設が多い地域なわけだし、これこそ藤野らしいアートの取り組みだよね、と。そうしたら、次は藤野で、芸術の家やアートビレッジを使ってやればいいじゃないかって言われて。そっか、アートビレッジでやればいいのかと思って。

藤平さんはアートビレッジと同じ敷地にある野山の食堂(現:だだっこ食堂)で、週末にピザ屋をやっていました。そしてちょうどそのタイミングで、野山の食堂をくりのみ学園が借り受け、くりのみ学園のお店として運営していくことになっていたそう。そのため、アートビレッジであればいろいろなことがやりやすいと感じました。

それでくりのみ以外の藤野の障がい者施設ではどんなことをやっているのかを調べてみたら「NPO法人たんぽぽ」にはイラストレーターの竹嶋浩司さんが入っていて、Tシャツやバックなど、すごくいい商品をつくって売っていた。ほかのふたつの施設にも話をしてみたら、どうも何かつくったり、絵を描いたりしているということがわかった。それなら一緒に展覧会やろうよと声をかけたんだよね。

次回は、ほかの施設も巻き込んで、開催しよう。そして、そのために必要な予算を確保するべく、メッセージ事業に応募しました。

展覧会を開催すること自体は、メッセージ事業に応募する前から決めていました。最初は、お金がなくてもできることをやればいいかなと考えていたんだけれども、どうしても必要になるお金ってやっぱりあるんだよね。それにこの展覧会は、やるなら長く続かせたいと思っていたからね。みんながボランティアでやっていても、そういう企画って続かないでしょう。じゃあ、せっかくメッセージ事業があるわけだし活用させてもらって、最低限、必要になる予算をいただけたら助かるなと思ったんだよね。

そう決めて、申請を出したのが2019年秋のことでした。

ひとつだけでもやっているイベントが必要だと思った

(写真提供:フジノ図工室)

ところが2020年に入ってまもなく、新型コロナウィルスの感染拡大が始まりました。メッセージ事業の関連イベントも次々と中止になっていき、令和2年度に採択された事業はほぼ全滅ではないかと囁かれ始めた頃、アール・ブリュット展あらため「いろ・とり・どり展」は、感染対策を施しながら、予定どおり開催することを発表しました。

中止はね、やっぱり考えましたよ。春に緊急事態宣言が出たときは、これはちょっとどうかなと思ったし、いったん宣言が明けたけど、また8月にぐわっと感染者数が増えたときは、本当にやばいかなと思った。…でもなんかね、なぜか前向きだった、みんな(笑)。「やろう!」って。

もともと野外での展示がメインだったことに加え、会場の立地も幸いしました。ほかのイベントは、住宅地の中で開催されるものが多く、地域の自治会の理解がマストだったため、慎重な判断が求められます。しかし「いろ・とり・どり展」会場のアートビレッジ周辺は隣接する民家が少なく、そうしたハードルが比較的低かったことも追い風になりました。

やっぱり開催するとさ、いろいろ言われたりするじゃない。人が集まるわけだから、クラスターが発生したらどうするのとかさ。その怖さはやっぱりあった。もし、くりのみ学園が会場だったら、迷わず中止だったと思います。でもたまたま直前に、くりのみ学園が元野山の食堂を借り受けて、同じ場所にあるアートビレッジのオーナーもここでやればいいって言ってくれた。だから、ここならできるね、となったんだよね。
それに、その頃には、藤野のほとんどのイベントが中止になってたからね。ひとつだけでもやろうよっていう感じがあった。というか、今思うとその意味合いが大きかったのかなー。やっぱりひとつぐらい頑張ってやってるところがないとさ、のちのち町全体がダメになってくるんじゃないかなと思ったんだよね。
じゃあ、とにかく消毒液をいっぱい置いて! いっぱい注意書きを書いて! 人がいっぱいになりすぎないように気をつけてさ。それでやってみましょうよと。

消毒やマスクのお願いもあちこちに(写真提供:フジノ図工室)

誰でも参加できる自由展覧会にしよう

(写真提供:フジノ図工室)

(写真提供:フジノ図工室)

会期は2020年10月31日~11月12日。飲食は諦め、お弁当を用意して販売しました。展示会場は、元野山の食堂の建物とテラス。その裏にある庭と、庭からさらに奥にすすんだところにある長い階段。さらにその階段を降りたところにある公共施設「芸術の家」の廊下などでした。野外展示をメインとし、建物内も窓を全開にして、常に換気がされている状態を心がけました。

私も会場に足を運びましたが、基本的な感染対策は施しつつ、堅苦しさはまったくありませんでした。そして、とても明るく開放的な空間は、文字どおりのいろとりどりな展示で溢れていました。絵や立体作品、インスタレーションにマスクなどの商品の販売。作品点数はもはや主催者も「よくわからない」ほど。参加者数で考えても、ゆうに100人を超えていました。

そして最大の特徴は、障がい者だけでなく、高齢者施設のお年寄りから保育園の子どもたち、在住芸術家まで、多様な人々が参加し、作品を出品していたことです。

アートビレッジと隣接する「藤野芸術の家」の音のプロムナードも展示会場に(写真提供:フジノ図工室)

(写真提供:フジノ図工室)

先述のとおり、いろ・とり・どり展は、アールブリュット展をきっかけに始まりました。しかし、地域の障がい者施設に声をかけ、芸術家仲間と協力していくうちに「いろ・とり・どり展は自由参加にしよう」ということになりました。美術教育の有無、障がいの有無、年齢、国籍の垣根(Border)をなくした、誰でも参加できる自由展覧会。それこそが真のボーダレス・アートなのではないか、と誰もが自然と考えるようになったのだそうです。

そこで、障がい者施設だけでなく、高齢者施設や保育園などにも声をかけ、在住芸術家自身も作品を制作して展示。さらに、相模原市内の養護学校なども参加することになりました。当日は来場した一般のお客さんが石に絵を描き、それを展示の一部とするワークショップを開催するなど、来場者が参加者に加わる仕組みも。多様な人々が気軽に参加し、ともにつくりあげる展覧会になりました。

いいものをつくるために、底上げしないといけないことってあるじゃない? そのためには、自由参加やここにきた人は誰でも参加できることが重要だと思った。それこそが、本当の意味でのボーダレス・アートだよなと。だって、子どもからお年寄りまで、みんなそれぞれに面白いところをもってるものでしょう。

来場者にペイントしてもらった石も展示作品の一部にしてしまう。廃材でつくられた巨大モビールは、NPO法人たんぽぽでアートの取り組みを進めるイラストレーターの竹嶋浩二さんの作品(写真提供:フジノ図工室)

(写真提供:フジノ図工室)

きっかけは障がい者施設での取組みでしたが、ボーダレス・アートの概念をあらためて考えたとき、障がい者という垣根はすぐに取り払われていきました。彼らの才能や面白さに最大限のリスペクトをしつつも、それをひとりひとりの個性として捉えていったのです。

障がいのある方たちっていうのはどうしても特別視されがちだし、彼らと付き合っていると実際にいろいろなことが起きる。でもそのたび、そういうところも含めて、ああ、同じ人間だなと思うんだよね。っていうかそれはさ、本当は子どもも赤ちゃんもお年寄りも、誰でも一緒なんだよね。
それとね、アートって、じつは俺もよくわからないのよ(笑)。よくわからないんだけど、作家がつくるものだけがアートじゃないとは思ってる。ものをつくるっていうのは、心が浮き立つ感じがあって、自己の解放みたいなところがあるでしょう。だからボーダレス・アートが面白い。そして、その面白さを表現していくには、やっぱりいろいろな人たちに入ってもらわないといけないと思ったから、みんなに声かけして、参加してもらったんだよね。

ボーダレス・アート。境界のないアート。個々の個性の垣根を超えて、誰もが同じ視座に立ち、ひとつの空間と時間をつくりあげていく。本来であれば、もっとさまざまなワークショップや音楽イベントなどもできただろうし、飲食などもできたはずで、もっともっと自由でボーダレスなアートが繰り広げられていたのだろうなぁと夢想しました。

気持ちの良い紅葉を背景に、ミニライブも開催(写真提供:フジノ図工室)

自粛の影響もあったのか、来場者数は想定よりは少なく、のべ600人ほど。それでも久しぶりのイベント開催に、地域の人たちが顔を出しては、楽しそうに過ごして帰っていきました。

こういう状況でやるからには批判は覚悟していたけれど、結局クレームはひとつもなかった。よくやってくれた、ありがとうということを、たくさん言われたよ。

藤野在住のデザイナー・佐藤純さんがくりのみ学園の参加者と一緒につくったオブジェは芸術の家へ向かう長い階段に展示されました。風が吹くと鈴の音がなるすてきなオブジェでした(写真提供:フジノ図工室)

藤野のアートの中心になりたい

今後も、可能な限り毎年開催していきたいと藤平さん。すでに、来年以降に向けた新たな動きもあるそうです。

コロナはあと何年かはダメだと思うけど、その中でいろいろなことを考えて、生きていかないといけない。だから、今のところは来年もやる予定でいます。ボーダレス・アートだから、それこそ藤野だけじゃなくてね。じつは、相模原市内の団体ともちょっと話があるんです。だからもっともっと広がっていくと思うの。たとえば藤野だけじゃなくて、同時開催で、相模原市内でもやるとかね。そういう大きなつながりもつくれるかなと思っています。
あとは、大きいことをいえば、藤野のアートの中心になりたいなと。だってボーダレス・アートだから、ある意味、なんでもありでしょ(笑)。いろいろなやり方ができると思うし、とにかく面白いことがたくさんできると思う。
だからね、先のことも考えると、もっと若い人にスタッフに入ってもらわないといかんなとは思ってる。前回はできなかったんだけど、学生にも手伝ってもらおうと思っているところです。

そしてもうひとつ、藤平さんが大きな目標としていることがあります。それは、参加者の中から、作家として独り立ちできる人を発掘していくことです。

作品をつくってたくさんの人に見てもらうことはもちろん大切なんだけど、私の最終目標は、作品を世に出して、その中のひとりでもいいから、きちんとアート作品として買ってもらえるような人を輩出することです。作家として独り立ちできて、収入の道っていうのかな。そういうものができればいいなと思ってる。ひとりでもそういう人が出てくれば、それに続く人が必ず出てくるし、彼らの人生も変わってくるはず。いろ・とり・どり展は、そういうことのベースでもあると思っています。

移住者や芸術家が多い藤野というまちには、本当に多種多様な人々が暮らしています。そして、それぞれを尊重しながら、ときには自由に、ときにはひとつとなって、心地いいコミュニティをつくりだしています。今回、それをアートによって結びつけ、体現したのが「いろ・とり・どり展」だったように思います。

コロナ禍で静かにならざるをえなかったまちの芯となり、この先、より多くの人を巻き込んで、藤野というまちのあり方をアートで表現する。「いろ・とり・どり展」はそんな場所になっていく気がしてなりません。

Information

今年も開催! 2021年度の「いろ・とり・どり展」は、
長期間開催で、作品入れ替えや会場内制作も予定しています。

FUJINO 小さないろとりどり展 in Dadacco

開催期間:2021116日(土)〜202236日(日)

時間:11時〜16時 ※オープン日は要問い合わせ

場所:Dadacco(藤野アートヴィレッジ内/旧野山の食堂)

 

 

 

記事を書いた人
平川友紀(ひらかわ・ゆき)

リアリティを残し、行間を拾う、ストーリーライター/文筆家。1979年生まれ。20代前半を音楽インディーズ雑誌の編集長として過ごし、生き方や表現について多くのミュージシャンから影響を受けた。2006年、神奈川県の里山のまち、旧藤野町(相模原市緑区)に移住。多様性のあるコミュニティにすっかり魅了され、現在はまちづくり、暮らしなどを主なテーマに執筆中。きのこぷらんにんぐメンバー。元ひかり祭り実行委員会メンバー。ぐるっとお散歩篠原展参加。その他、藤野でのさまざまなイベントや地域活動に関わっている。現在は山々に囲まれた篠原地区の奥地に居住。藤野では「まんぼう」の愛称で親しまれ、藤野地区の魅力を発信し続けている。

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