そう話すのは、藤野町役場・企画財政課の職員として、1989年からの約6年間「藤野ふるさと芸術村メッセージ事業」の直接の担当者だった河内正道さん。ちょうど県主導だった事業が町主導の事業へと移管され、その形を変えていく過程に当事者として関わりました。
正道さんは、たまたま異動でメッセージ事業の担当になっただけで、芸術村構想には懐疑的な立場だったといいます。しかし事業が広がりを見せ、まちが盛り上がっていく様子を見るにつけ、徐々に「こういうことがまちをつくっていくということなのではないか」と思うようになっていきました。「現在の藤野を見ていても、それは間違いではなかった」と話します。
こうした行政主導の事業は、どうしても型にはまってしまい、その腰の重さや慎重さが課題となる場合があります。担当者が積極的に事業に取り組もうとしなければ、地に足がつかず、ただの予算消化で終わってしまう可能性もなくはありません。
しかし藤野町役場は、正道さんを筆頭に芸術家を積極的に頼り、信頼し、住民のためという姿勢を貫いて、フレキシブルに事業を進めていきました。その結果、現在の藤野は在住芸術家が300名以上、芸術家以外の移住者もそれ以上に増え、多くの取り組みがあちこちで起こる創造的でアクティブなまちとなりました。
話を聞けば聞くほど、担当者が正道さんであったこと自体が、藤野が芸術のまちとして発展していった大きな理由のひとつだったという気がしてきます。正道さんがどんな思いでメッセージ事業に携わり、そこにどんなまちの未来を描いたのか。今回、改めてお話を伺いました。